60才で10万キロ、80才で20万キロのつもりが10万キロでアイドリング、ドカドカと振り返って見た、あいうえおで振り返って見た。


先輩のアドバイスって、助言する事では無く話を聞く事かも知れ無い!?。

 

特にドカ乗りには!、ドカ乗りで無くても!?


解決策を考えるのに昔は……では無く、ドカな神話では無く、経験や歴史で紐解こうとするのでは無く、新旧・老若取り混ぜて自由な心で紐解く。 
過去に囚われずドカとの新しい関係を構築する事が大事なこと、結果的に歴史は繰り返す事になったとしても。

自分の人生、納得する事が大事なドカの世界、何でも有りのドカな世界。


あの頃に戻れる訳では無いけれど、あの頃から

成長してないばかりかやっと30年前のあの頃に 辿りついた、30年掛かってドカを知ったあの頃へ。
あの時に戻れる訳では無いけれど2年前のあの時、 大好きな峠へ向かったまま帰って来ない我が分身、 やっと引き取りに行く、帰宅したら積もる話から始めよう、ドカが楽しくての2年前のあの時から再出発、 今度はどんなドカに出来上がるかドカ。


医師もメカも同じだった!?「これで歩いて見て下さい」「これで乗って見て下さい」。

やる事やったら、後は本人の自己責任に委ねる。

ケッチン骨折で感じた事、何をやってもドカに繋がってしまう、ドカからドカまで


自分の居場所
自分を受け入れてくれる場所
自分を受け入れてくれる人(達)
自分で居られる場所 自分の居場所がドカかな

 

居場所は自分で見つけるもの
この頃居場所が無い 何処に行っても居ても
居場所を見つける力が無くなって来ただけ
居場所と思える柔軟性が無くなっただけ
それが老化 心の老化!?


ドカが良いのか解らないと不満なところ探しを始めるか、
ドカに出会えて良かったと楽しいところ探しが始まるかで大違い。
褒めて育てるか叱って育てるかの教育論争と同じで笑っちゃう。

 

ドカに向いてる性格かドカ?、私は向いちゃってる!かも。


結果的に出来上がった私のドカ
気が付けば私の分身になって居た

 

高がモーターサイクルされど私のドカ


乗り難さ、扱い難さよりも、格好良く走りたい気持ちが強い。
格好良く走る為に上手くなりたい、上手くなれば速く走れる、速いライダーは格好良い。
今日は上手くなってるかもで、毎回の箱根通いが15年続いた。
上手くはなってないけど、楽しく走れるようになった。

 

楽しく走ってる人は格好良い、と思ってもいいじゃんのこの頃。


そんな役割をやってるのかも勝手に、人にちょっかいを出すのが好きな自分の言い訳。

勝手にお節介、ドカが取り持つ縁を勝手に繋ぐ。


知らずに、世代交代は行われて居る、こちらが気付きたく無いだけかも。

 

峠で引っ張ってるつもりが・・・・・!?。


ついお仕着せに反発
単に体制への反発
良く言えば反骨精神
悪く言えばへそ曲がり
あえて言えば逆転の発想
+の発想と思える様になったら、折り合いが付いた
自分の人生と折り合いが付いた
指向が変わった、+思考になった。

 

いかにものドカに反発

 

「ドカが変わったの?ドカが違うの!?」カミさん曰く


30才でモーターサイクルの免許、知識の無さ、先入観が無かったお陰で今日までこだわり無く、自分のペースで進めて来れた。

 

60歳のこの頃、やっと自分と折り合いが付いて来た、ドカのお陰、出会えた人に恵まれた。


想う事、感じる事が第一歩

 

想っていると何時か機会が訪れる ドカに乗る機会が