繰り返しで身体が覚える、経験が身に付くと体験!?、
良い環境(良き師、良き友、良き隣人)で経験、私のドカ人生も

趣味で乗ってるんだから人それぞれ、古ドカも新ドカも古人も新人も
人それぞれのドカが有り、ドカとの関わりが有ったようせい 

「帳尻合わせて来るから」と言い当てられた
語呂合わせ、連想ゲーム、キーワードを繋げて来た人生。
ドカに乗り出して30年→60歳→10万km→30年前の出会い
→RidersClubの創刊→別冊MC.’79.10月号のドカ特集
→30年前に向かって走って居た

一寸した事を大事にし、それの継続がドカに乗り続ける秘訣

一寸した出会い(人・一言)が次に続く力になった、
力を貰ったり、あげたり!?だったら良かったけど、貰ったり貰ったりのドカな人生

OH.した後は調子が良い、乗る毎に調子は落ちる、調整をしながら乗り続ける、
ドカも自分も調整を続けながら乗り続ける。
調子が悪いって何だろう、調整をしないから?調整をしたのに?、
調整をしながら乗り続ける面白さ、調整をしなければ乗り続けられない面白さ、
結果的に言えてるんだけど、ドカまで続く調整生活。

世の中を繋いでる役目をしていると思えば解り易い、肩の力も抜けて丁度良い
乗り続ける事で何かを共有できたら、自分の体験を共有できたら
ドカに乗り続ける事が繋ぐって事
体験を背負って、ドカの伝道師!?になりたい

新しい関係を作る今の時代と私との
今の若者と私とのドカな関係を創る

横浜では同じ様でも、行ってみないと解らない箱根の天気
山の中は、ドライだったりウェットだったり
途中で一寸降られたり、薄日が差したり、ガスって来たり
明るくなったり一寸暗くなったり
行ってみないと解らない
走ってみないと解らない
帰ってみないと解らない
ウェットだったり小枝が落ちてたりで、一寸抑えて走る
天気も今一で、二輪車も四輪車も少な目
プレッシャーも少な目で、色々想ったり思い出したりで
のんびりドカ日和をプレゼントされたみたい

雨が降ってないから行こうか、
雨が降りそうだからやめようか、
同じ天気なのに 気持ち次第の いつも次第

最初に何に出合ったか、誰に出会ったか
その時々で何に出合えたか、誰に出会えたか
最初にドカに出合った
最初にあの頃に出会った
最初にRIDERSCLUBの創刊の心に出会った
30年経って60才になって 又、走り出す
今、大切な事はドカに乗り続ける事
心を自由にして 時代に流れながらの自分流
自分に負けない、良い大人への道

みんなの定番・ノーマルよりも自分の定番・ノーマルが一番です、ってナンタルチーア?

これからは、囚われない生き方をして行こう 
ドカに囚われないドカ、そんなドカってドカに!?

気分良く走った後の爽快感が忘れられない
気分良く走れる「T.P.O.」を求めて
爽快感のためなら、全てが気にならない(許せる!?)
いいとこ探し、あばたもえくぼ
大人の良識とのバランスが、微妙!?だけど
「全てが気にならないと全てが気に入らない」とでは大違い
何かが気に入ると、全てが気にならない世界
何かが気に入らないと、全てが気に入らない世界(事)も有る(許せない!?)けど

私にとってドカに乗るって、
ただドカに乗るだけではなく、ドカを取り巻く一寸回りの世界とも付き合うって事
ドカに乗るってトータルな事
レコードを聴くって、人に依っては針の音の前奏も聴くって事!?
ドカに乗り続ける事は自分にとって、いい事
ドカにとっても、いい事
ドカの世界にとっても良い事と思える、今日この頃

ドカに乗って家を出ると、家に向かって走ってる自分に気付く。
この30年間、30年前に向かって走っていた様な気がする。

 

ドカに出会った頃思い描いた風景の中を走った。
ドカで気分良く走ってると、いつのまにかメリハリの走りになっている。
ドカが自分に向いているのか、自分がドカに向いているのか
空けられる場面では、一寸した直線でも先読みしないで空ける走りをしてると、
楽しい走りになって居る。
そんな走りをしてると、楽しい場面がどんどん増える。
霧の中を走っているのに、ウェットなのに、こんな事って在るんだ。

Q:何故ドカに乗ってるの?
A:乗りたいから乗ってる
それも答えだが、それだけでは乗り続けられない
乗って良かったが、たまたま続いて今日まで乗って来れた様な気がする
Q:「何故?今日まで乗り続けてるの」が正しい質問?
A:ドカでドカに出掛けて、帰宅して「今日も出掛けて良かった」が続いて来たから乗り続けてるだけ、結果的に乗り続いてるだけ

 

ドカで良かった、良かったが積み重なって我が人生
行って良かった、会って良かったが結果的に積み重なって
だから行き当たりバッタリ、これからも

 

前を見ると道は無いけど、振り返って見ると道が出来てる
これからもドカまで続く恋の道かな

何故続いたのだろう 続いてるのだろう
その時々の徒然に色々な出会いが有って
人だったり、物だったり、言葉だったり、音だったり、仕草だったり、心だったり、
今だから言えるけど 出たとこの自分そのままにドカと付き合って
自分が育つのは楽しい ドカが育つのは楽しい
ショップも育てばなお楽しい 
家族も育てば・・・、調子に乗りすぎ!?

ドカ屋さんに、言いたい事が言えない自分が情けない&だらしないと思っています。
結局自分のドカが一番なんです、ドカに乗り続けたいんです。
乗り続けるには、ドカ屋さんの世話にならなければならないんです。
世話になる相手には、だから言えないんです。

ドカ屋さんとは、顔の見える関係で良かった
この頃ドカに乗ってないけど、そうだドカ屋さんへ顔を出そう!。

地球に住み始めた頃乗ってた乗り物は、ドカ星のオンボローニャではドカと呼んでいた。
20世紀最後の日に私が乗ってた乗り物はドカだった。
21世紀のボロー屋で私は何に乗って居るのだろー!?。

自分の影を追い掛けて
自分のドカを追い掛けて
走った事の無い道なのに!?
走り方はドカでも同じになっちゃう!?

思ったら行動、その環境に乗って見る
その環境を楽しんで見る、遊びの世界